2011年10月21日金曜日

ミツカン工場見学で辿るお酢と握り寿司の歴史

ミツカン本社ビル

食卓の友、ミツカンの本社が愛知県半田市にあると知り、本社前にある「酢の里」という日本唯一のお酢の総合博物館内でミツカンのお酢造りの歴史を学んできました。なぜミツカンがお酢会社として成長したのか、そしてミツカンのお酢と握り寿司の関係を知ることができました。ということで、今回はその成果をご報告します。


ミツカンのお酢づくり -酒粕酢-
お酢はどのように作られるのかご存知でしょうか?一般的な米酢は、米のデンプンを麹カビで糖化、酵母でアルコール発酵させたお酒を酢酸発酵させて作ります。しかし、ミツカンの工場見学では米やお酒ではなく酒粕を原料にしたお酢造りが紹介されています。そう、酒粕を使うことこそミツカンのお酢づくりの原点。もともと酒造メーカーであったミツカンは、酒造りの際に出る酒粕を原料にしてお酢を作ることを始めました。酒造りの副産物である酒粕を使うことで、コストを大幅に削減したお酢造りができるようになりました。また、酒粕を熟成させると旨味が増すというメリットもあります。このようにして、ミツカンはお酢の主要メーカーへと成長していきます。

発酵室内の仕込み桶

現在のミツカンのお酢造りは工業生産が基本ですが、「酢の里」では当時の酒粕酢を再現し、今でも昔ながらのお酢を生産しています。館内展示によると、酒粕酢の作り方は以下のような流れになります。まず、原料となる酒粕を3年間熟成させ、水を加えて撹拌します。これを圧搾したものを「酢元」と呼び、大釜で沸騰させてから「種酢」の入った仕込み桶に移し、酢酸菌による酢酸発酵を行います。上の写真は、酢酸発酵に使われる仕込み桶の様子です。ガラス越しに見学することができ、係員さんが仕込み桶のフタを開けて中の様子を見せてくれます。辺りにはお酢の香りが漂い、現像時のような気分に浸れます。

仕込み桶表面の酢酸菌

仕込み桶の表面に見える筋の入った膜が酢酸菌です。酢酸菌は好気性なので、空気と接する桶表面で発酵が進むことになります。酢酸発酵によって生じた酢酸は酢元よりも重いため、酢酸は桶の下に沈み新たな酢元がまた発酵されていきます。撹拌しなくても自然にお酢が作れるなんて便利な仕組みです。こうして作られた酒粕酢は貯蔵樽の中で1-3ヶ月熟成され、濾過を経て製品となります。実際にこの手法で作られた酒粕酢は館内の売店で購入することができます。


ミツカンと握り寿司
一時期、週刊大衆で連載されている寿司屋與兵衛を読んでいました。握り寿司の考案者として知られる華屋與兵衛を題材にした漫画ですが、ミツカンの酒粕酢は與兵衛の握り寿司と深い関わりがあります。ミツカンの創業者、初代中野又左衛門が酒粕酢の製造に成功したのは1804年(文化元年)、本格操業を始めたのは1811年のことです。一方、與兵衛が江戸で握り寿司を考案したのは1818年頃。ミツカンの酒粕酢とほぼ同時期に握り寿司が登場し、相性の良さと酒粕酢の値段の安さから両者の組み合わせは広く普及するようになります。又左衛門は当時江戸の視察を行ったそうですが、握り寿司による酒粕酢の需要がそれほど高かったということでしょうか。酒粕酢は握り寿司の発展を支えたと言っても過言ではなさそうです。

酒粕酢「三ツ判山吹」と握り寿司(木箱の中)

上記のように、ミツカン酒粕酢の主要消費地は江戸であり、半田で生産されたお酢の多くは江戸に輸出されました。輸出には海上交通が使われたようですが、現在でもその名残りを半田の町並みから知ることができます。ミツカン本社前には運河が広がり、お酢以外の醸造業もこの運河を利用して海上輸送を行っていました。映画「姿三四郎」のロケ地としても知られている名所だそうで、運河沿いに立ち並ぶ醸造蔵は一見の価値があります。

運河沿いの醸造蔵


最後にトリビア
ところで、現地に行って気付いたことなんですが、ミツカンの英語表記 "mizkan" はmizkanのフォントが異なっています(写真下)。「酢の里」の解説員の方に聞いたところ、ミツカンのお酢造りのこだわり、「味」「きき」「香り」の三つを意識してmizkanのフォントを変えているそうです。 いや、ちょっとうる覚えなので自信ありません。とにかく、理由があってフォントをわざと変えているんだそうです。気になるかたは是非直接「酢の里」で理由を聞いてみてください。

mizkan 中埜酢店

以上、「酢の里」見学で学んだ酒粕酢造りと握り寿司のお話でした。まだまだ書きたいことがあるんですが、長くなりすぎるのでこのへんにしときます。それでは。


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